マルオ洋品店のブログ

兵庫県稲美町のマルオ洋品店の店長のブログです。

まるたの母 昭和物語 「せっけん」

※この話は2020年秋用に書いたものです

まるたの母 昭和物語

 物があふれ、どんな田舎にいても、家にいながら何でも手に入る、ついこの間までには想像もつかなかったような便利な時代になりましたが、豊かではなかったけれど、なぜかあの頃はよかったと思えてしまう昭和、そんな時代を一生懸命に生きてこられた方々にああそうだったなあと、少しでも懐かしく思い出していただいたらと書いています。数十年も前のことですから私の思い違いもあるかもしれませんが・・・

せっけん

 コロナウィルスという、おそらく世界中の誰もが思ってもみなかった感染症の流行で、私はまじめに手洗いをするようになりました。見た目が汚れていなければ綺麗や(笑)という自己判断で長年暮らしていましたが、今では家に帰ったらまずは手洗い、石鹸をよく泡立て手のひら,甲、指の間、指先、手首を念入りに洗っています。私より不真面目だった夫もよく洗っています。私は古臭いようですが、頂き物やお土産の石鹸があるので使っています。正直勿体ないが一番です。夫や孫達は泡のハンドソープでないと嫌なようです。

 高度経済成長期の昭和三十年代はまだまだ衛生状態も良くなく、人々は生活に追われ、衛生観念もまだあまり普及していなかった時代です。保健所や学校での衛生教育で子供たちは綺麗にするということを覚えていきました。校内のあちこちには廊下を走らないという標語とともに、手を洗いましょうという標語が貼られ、保健室や給食室の前には、消毒薬を入れた白いホウロウの洗面器が置いてありました。みんなで並んで順番に、独特の臭いのする白い液体に手を浸したものです。
そのころ学校で流行っていたのが、紙石鹸でした。携帯できるビニールのような薄いケースに、紙のような薄い石鹸が何枚か入っていました。友達に「一枚やろか・・」と言われ、私は うれしいような羨ましいような気持ちでした。駄菓子屋に売っていましたが、その都度五円か十円をもらって遊びにいっていたので、買える金額ではなかったのかもしれません。私は黄色いレモンの形をした、レモン石鹸が色も形もにおいも大好きでした。
テレビでも石鹸のコマーシャルがよくありました。♪輪 ♪輪 ♪輪 ♪輪が三つ、三人の輪を持った人形が歌を歌うミツワ石鹸のコマーシャル ♪  牛乳石鹸良い石鹸 ♪ カネボウ絹石鹸、今でも耳に残っています。贈答用に箱入りの高級石鹸はどんどん売れていったのでしょう。

 「小さな石鹸カタカタ鳴った・・・・・」かぐや姫の歌「神田川」の歌詞の一節です。どこの家にもあったセルロイドの石鹸箱も今ではあまりみかけなくなりました。
これまた余談ですが、高校の化学の先生の話によると、絹石鹸は製糸工場で蚕の繭から生糸をとった後の副産物(産業廃棄物?)サナギの油から作られたそうです。いも虫や蛾を連想して気持ちの良いものには思えませんでしたが、科学的には正真正銘のシルク成分、少しびっくりしますが、女性のあこがれシルクでできた高級石鹸は世界中に輸出されたそうです。しかし世の中の移り変わりとともに、泡となっていった会社もあります。

 最近では、洗った後は保湿、手以外の体は洗い過ぎないということをしみじみと実感しているまるたの母です(笑)